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神戸地方裁判所尼崎支部 平成7年(ワ)271号 判決

平成七年(ワ)第二七一号事件原告

古賀公治

澤雄司

平成七年(ワ)第四六五号事件原告

株式会社オプコ

右代表者代表取締役

田原潮二

右原告三名訴訟代理人弁護士

辻公雄

吉川法生

平成七年(ワ)第二七一号事件、同第四六五号事件被告

株式会社芦屋カサ・ミア

右代表者代表取締役

渡邉佳子

右訴訟代理人弁護士

家郷誠之

佐井利信

主文

一  被告は原告古賀公治に対し金一五〇万円、同澤雄司に対し金一二〇万円及びそれぞれについて平成七年五月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告株式会社オプコに対し、金二〇〇万円及び平成七年七月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (賃貸借契約)

原告らは、被告から別紙物件目録一記載の建物(以下「本件マンション」という。)のうち、二ないし四の部分をそれぞれ次の約定で賃借した(以下「本件賃貸借契約」という。)。

(一) 原告古賀公治(以下「原告古賀」という。)について

日時 昭和六〇年九月

賃料 一か月 一〇万円

保証金 一五〇万円

賃借物件 別紙物件目録二記載の部分

(二) 原告澤雄司(以下「原告澤」という。)について

日時 昭和六三年四月

賃料 一か月七万五〇〇〇円

保証金 一二〇万円

賃借物件 別紙物件目録三記載の部分

(三) 原告株式会社オプコ(以下「原告オプコ」という。)について

日時 昭和六一年二月四日

賃料 一か月一七万円

保証金 二〇〇万円

賃借物件 別紙物件目録四記載の部分

2  ところで、平成七年一月一七日に発生した阪神・淡路大震災(以下「本件大震災」という。)により、本件マンションは損傷を受け、修理を加えない限りは使用不可能な状態に陥り、被告から退去して明け渡すように求められた。

3  原告らは、本件マンションは修繕することによって、再生することができると考え、被告に修繕を申し入れたが一向に被告は修繕しようとしなかった。そこで、原告らは、本件賃貸借契約を解約することとし、本訴以前からその意向を被告に伝えていたが、改めて本件訴状により本件賃貸借契約を被告の修繕義務違反によりそれぞれ解約する旨通知した。

4  原告らはいずれも本件マンションの各賃貸部分を既に明け渡した。

5  (予備的請求原因)

仮に、本件マンションの修繕が可能であって被告にその修繕義務があるとの主張が認められないとしても、本件マンションは滅失したものと解されるから、契約は当然に終了した。

6  よって、原告らは被告に対し、主位的に本件賃貸借契約の解約に伴う各保証金の返還請求として、これが認められないときには予備的に本件賃貸借契約の目的物の滅失による契約終了に伴う各保証金の返還請求として、原告古賀公治について金一五〇万円、同澤雄司について金一二〇万円、同株式会社オプコについて金二〇〇万円及び各賃貸部分の明渡しの後である原告古賀公治、同澤雄司については平成七年五月二〇日から、同株式会社オプコについては同年七月二六日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実はおおむね認める。ただし、本件マンションの損傷の程度については、いわゆる全壊であり、修繕可能な状態ではなかった。

なお、芦屋市の当初の認定は半壊であったが、結局、全壊と認定され、既に本件マンションは同市の公費負担により解体収去されている。

3  同3ないし5の事実については認める。ただし、同3の事実のうち、原告らは当初、本件マンションが全壊したと主張していたのであって、原告古賀及び同澤が修繕により再生できると主張するようになったのは、平成七年五月二日及び同月九日からであった。

4  同6は争う。

三  抗弁

1  (主位的請求原因に対して)

本件マンションは本件大震災により、全壊したものであって、修繕を加える余地はない。

仮に本件マンションが全壊したのではなく、修繕可能な状態であったとしても、その工事は大規模であって、莫大な費用を要する上、修繕をしても、老朽化していることもあって、十分な安全性を確保することは困難であるから、これを被告に期待することはできないのであって、修繕しないことは債務不履行とはならないと解すべきである。

2  (敷引条項)

本件賃貸借契約においては、保証金について、その二割を差し引いて、返戻する旨の条項(以下「敷引条項」という。)が定められているのであって、原告らの各請求のうち、各二割の金員についてはいずれも認められない。

3  (予備的請求原因に対して)

本件賃貸借契約においては、天災事変その他の非常の際により、賃借室が使用できなくなったときは、契約は当然消滅し、保証金を返戻しない旨の特約がなされている(以下「本件特約」という。)。

本件マンションが使用できなくなったのは、正に天災である本件大震災によるものであるから、被告は保証金についていずれも返還義務を負わない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1については争う。

2  抗弁2及び同3の各条項が本件賃貸契約書に記載されていることは認めるが、その効力はいずれも争う。

五  再抗弁

1  (抗弁2に対して)

本件特約は、以下の事情の下で、原告らは自己に一方的に不利な特約を真意に基づいて締結したものではなく、これに拘束される意思はなかったから、いわゆる例文と解すべきであり、無効である。

(一) 本件特約は、不動文字で記載され、被告が他の多くの賃貸借契約書にも記載している。

(二) 賃借人は弱い立場にあり、経済的強者である賃貸人に対し、契約締結に際して、真意でないからといって削除を要求することはできない。

(三) 保証金は、本来、遅滞賃料や賃料相当損害金、賃借人の責任による賃貸人に対する損害賠償金の支払の担保に供するものである。

(四) 地震による損害は、仕事や生活全般に影響を与えるが、法律上の責任のない賃借人の負担で賃貸人の損害のてん補を図ろうとすることは、賃借人にとって過酷にすぎる。

2  (抗弁2に対して)

仮に再抗弁1が認められないとしても、本件特約は、賃借人が経済的弱者であることにかんがみて、そもそも目的物件の使用不能について賃借人に帰責事由がある場合に限定して適用されるものと解釈すべきである。

すなわち、本件特約においては、「但し、類焼の場合はこの限りにあらず。」と規定して、目的物件の使用不能について賃借人に帰責事由がない場合を例示して、かかる場合には保証金の返戻を認めているのであるから、類焼による滅失の場合に限定することなく、賃借人に帰責事由のないことが明らかな本件大震災による滅失の場合にも、本件特約(本文)を適用することはできないものと解すべきである。

3  (抗弁2に対して)

敷引条項は、右1で述べたと同様の事情により、いわゆる例文と解すべきである。

また、保証金の敷引は、本来、従前の賃借人が退去の後に建物の内装等の一般的な消耗設備を取り替えるなど新たな賃貸借に備えるためになされるものである。そうすると、本件におけるように少なくとも目的物が取り壊されてしまって、新たな賃貸借が生じないことが確定した場合には、もはや適用されないと解すべきである。

六  再抗弁に対する認否及び被告の主張

再抗弁1ないし3の事実はいずれも否認し、本件特約及び敷引条項が無効ないし本件に適用されないとの主張はいずれも争う。

(被告の主張)

1 賃借人が必ずしも経済的弱者とは限らない。本件におけるように相当な額の賃料の支払ができる賃借人が経済的に弱者であるとすることはできない。原告らは、相当な社会的知識を有するし、事業を営むなどしているのであるから、この点においても、弱者とはいえず、一方的に不利な特約を唯々諾々と承認させられたとは到底考えられない。

2 火災により、目的物件を消失した場合と、本件におけるような大震災により、滅失した場合とでは、事情が異なる。

すなわち、火災によって、賃借人は家財道具を失う結果となるのが通常であるのに対し、本件においては、原告らは、その所有権を放棄したものを除いては、家財道具を失ったものでもない。

また、火災の場合には、火災保険によって、賃貸人がその損失をほぼてん補できるのに対して、地震による場合には、保険金は本件においては一〇〇〇万円と低額であり、損失をてん補できない。

第三  証拠

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  主位的請求原因については、本件マンションが滅失したかどうかの点を除いては当事者間に争いがない。

二  そこで、本件マンションが滅失していたかどうかについて判断する。

まず、かかる判断に当たっては、単に賃貸借契約の目的物である建物が物理的に滅失した場合のみならず、その修復が通常の費用ではなし得ない場合も賃貸借契約が終了したと認めるのが相当であるから、滅失に当たると解するのが相当である。

弁論の全趣旨によれば、本件マンションは昭和四七年に建築されたものであり、本件大震災により相当程度の損傷を受け、そのままの状態では居住できず、少なくとも原告らにおいて退去を余儀なくされたこと、芦屋市は当初は半壊と認定していたが、後に全壊と認定したこと、結局、公費により解体されたことが認められるが、反面、本件マンションの取壊しに反対して、居住し続けた者もいたこと、そのままの状態でも倒壊のおそれもないことに加えて、原告古賀の本人尋問の結果によれば、具体的な修復工事について、本件マンションを建築した業者がその代金を約八〇〇〇万円と見積もっていたことも認められる。

これに加えて、本件マンションの基礎や躯体部分などの主要な部分が受けた損傷の程度、修繕に要する費用が具体的な金額及び本件マンションを建て替える場合に要する費用などについて、被告において、何ら具体的な立証のない本件においては、本件マンションが滅失していたと認めることはできない。しかも、本件マンションが本件大震災により受けた損傷について修繕しないことが、本件賃貸借契約に基づく債務不履行に当たらないことについては、被告に主張立証責任があると考えられるところ、その主張についても何ら立証がない。

以上から、本件賃貸借契約は、被告の修繕義務の不履行を理由とする原告らの本件訴状による解約通知によって終了したものと認められる。

三  次に、主位的請求原因に対する抗弁である敷引条項について検討する。

本件賃貸借契約においては、保証金について、二割を敷引する旨の条項があることについては、当事者間に争いがない。

これに対して、原告らは、その効力及び本件における適用について争っているところである。

一般に、保証金は、賃貸借契約と同時に返還合意の下に賃借人から賃貸人に交付されるものであるが、これは、もっぱら、賃借人の滞納する賃料や賃貸借契約終了後明渡しまでの賃料相当損害金をてん補する目的をもってなされるものと解される。

本件において原告らが被告に交付した保証金は、賃料のおおむね一〇倍程度であり、右のてん補の目的を達するのに相当なものであると考えられるし、また、本件賃貸借契約においては賃貸借契約が存続している間には、賃借人からの保証金返還請求権と滞納賃料との相殺を禁止する旨の条項があり、これは、賃貸借契約終了時における保証金の実質的なてん補の右の目的を阻害しないために設けられたものとも解されるから、これに反する事情も認められない本件においては、いずれも、滞納賃料及び賃料相当損害金のてん補を予定して授受されたものと認められる。

そして、このような保証金の敷引については、従前の賃借人が退去した後の内装等の補修費用や新規賃借人の募集に伴う費用やいわゆる空室損料をてん補する目的でなされるのが通常であり、一般的には、その効力を認めるのが相当である。

本件における敷引条項は、特に敷引の要件については限定を加えていないものの、二割を敷引するものと定めており、右の目的をもつものと解するのが、当事者の合理的な意思解釈に合致する。

このように解すると、原告らが主張するように、賃貸借契約の目的物が滅失した場合には、もはや敷引条項を適用する実質的な根拠を失うことは明らかであるから、もはや敷引はできないと解するのが相当である。本件賃貸借契約においても、敷引をした後の保証金の返還についてその履行の場所は「管理事務所で支払う。」旨合意されており、管理事務所の存する本件マンションが滅失した場合を想定していないことがうかがわれるところである。

そして、このように敷引条項の適用がないと解されるのは、火災や地震により目的物が滅失した場合であると、本件におけるような賃貸人の取壊しにより滅失した場合であるとを問わないのは当然である。

そうすると、原告らの再抗弁3のうち敷引条項が本件に適用がないとの主張は理由があり、本件において、敷引により保証金を減額することは認められないし、他に原告らにおいて保証金によりてん補すべき債務不履行の主張もないから、その余の点について判断するまでもなく、被告は、原告らに対して、いずれも保証金の全額について返還する義務を負うものと認められる。

四  以上から、原告らの請求は理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官島田睦史)

別紙物件目録〈省略〉

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